果てしなき帰途の果に

yoakeroの雑文コーナー

ねとらじの告知

金の話がしたい。誰か上手い話をもってこい。
おひさしぶり。欲望の権化、よあけ・デスペラードです。就職活動直前にバイトやめたことを後悔しています。
ここ1〜2年、このページの更新ペースが安定してきた気がします。「俺と」シリーズは第一回にして早くも打ち切られたので、また淡々とねとらじの告知をするページに戻りますよ。準備はいいですか?油脂の雨が降りますよ。早く逃げろ、ちがう、そっちは成年向けだ、君にはまだ早い、死ぬぞ。



■日時
11月23日(日)
夜9時ごろ開始
夜10時過ぎから開始


■タイトル
「君、家族と話すとき僕のこと話題にしたりするの?らじお(仮)」


URLと掲示板は放送前に追加しますよ。
丁寧な接客が伝統のネトラジー、ネトラジー、お降りの方はお近くのボタンを押してください。そして聴いていってください。放送時間はたぶん、二時間とか三時間とか、そのくらい。

「俺と」シリーズ第一回「俺とkey」


 僕のなかにあるkeyについての歴史を語るというとき、一体どこから語ればいいのかというのは迷うところで、いろいろ考えてみたけれど、どうも入りの部分が表面的な思い出語りに終始してしまってよくない。高校時代の僕がkeyについて考えていたときというのは、知識も能力もゼロに等しかった僕が精一杯の背伸びをしようとしていたのだと思う。思い返してみれば、感想ではなく評論(のようなもの)をネット上で探し始めたのも、あのころのはずだ。難解なストーリー構造の「Air」に翻弄された僕は、クリア後に僕の中で生まれた感動を、具体的に説明してくれる言葉を求めていろいろと読み漁った。結局、当時はそういった評論を理解できるほどの読解力もなく、結論や小見出し的な部分をトリビア感覚で吸収するだけだったのだけど。こういう風に啓蒙されて読解本や評論を読み漁るというのは、僕と同年代か少し上の世代ではエヴァンゲリオンで経験したことなんじゃないだろうか。僕の場合は、それが「Air」であったわけだ。もしくは、それはkeyであった。
 高校二年で僕が掲げた目標は、「新たなクラスで新たな友達を作らない」というものだった。なんてハードボイルドなんだろうか。でもこれは、その時同じクラスになった友人が一年のときに達成した偉業であって、僕はそれがなんだか格好よさそうだったので真似しただけだった。高校の僕にとっては、クールというのはそういうことだったのだ。ちなみにその友人は、二年では同じクラスにだったけど、そいつとは普通に遊んでいた。だもんだから、僕ら二人はクラスから浮いていたし、もう一人、そのクラスには背が高くて天然パーマで動きの奇妙な男がいて、そいつも浮いていた。当然のなりゆきで僕ら三人は、クラスのなかで浮いていた。嫌われていたわけではなく、ただただ没交渉的な関係が続いた。だもんだから、修学旅行の部屋割りでは自然にこの三人が同じ部屋で寝ることとなった。行き先は沖縄で、当時は飛行機テロか飛行機ジャックか何かが起きていて物騒だったので修学旅行を中止するか決行するか揉めていた気がする。結局は決行した。例の友人は世間で騒がれていたテロだかジャックだかを「まんまフルメタじゃないか」と軽く流すような態度をとっていて、それがまた当時の僕にとってクールに映ったのだが、今は別にそんなこともない。それで沖縄のホテルで泊まっていて、ようやくこの修学旅行の話でkeyの話に触れるのだけど、それはまあ一瞬で終わる話で、夜に三人で部屋のテレビを見ていたとき、ちょうどしゃべり場がやっていて、テーマが確かオタクで、オタクの休日、みたいなコーナーがあって、オタクのしゃべり場戦士がすごく嬉しそうに「今日発売のゲームを買いに行くんですよぅ」と言ってPS2版「Air」を買いに行く場面があって、僕の友人は腹を抱えて笑っていた。その直後に、NHKの電波で観鈴がしゃべっている場面が映し出されて、僕ら二人はさらに笑った。もう一人はkeyを知らなかったので、ちょっと必死そうに「ねえ、なに、なに? なんで笑ってるの?」と僕らに何度も訊いてきたが、説明するのが面倒なので説明はしなかった。という思い出だけで二枚も使ってしまった。別にだからどうということもなくて、そんな風に僕の高校生活の思い出のなかには、さまざまな形でkeyが根付いているということが言いたかった。ということにしておく。他に、「Kanon」のクライマックスの台詞と文章をすべて暗記していて、感情のこもった語りを毎日披露する愛すべき友人がいたことや、僕が部活の先輩たちから「Kanon」のメインヒロインと同じあだ名で呼ばれていたこととか、気まぐれに「Air」を薦めた先輩が本編をやらずに「感動したよ!」とよくわからないことを言って僕に迫ってきて先輩たちから「アイツはホモだから仲良くしないほうがいいぞ」と注意されたりしたことや、修学旅行前日の深夜にkey公式ページで「CLANNAD」の情報が発表されて徹夜で情報収集し、集合場所の空港で友達に延々といかに「CLANNAD」が素晴らしいゲームであるかということを想像力だけで語っていたことや、イチゴサンデーを探して喫茶店やアイス屋やケーキ屋をいくつも回ったことや、まあとにかくそんなことが他にも山のようにある。「Air」のトレーディングカードを箱買いして、その数ヵ月後に虚しくなって後輩にタダであげたこととか。
 熱に浮かされていたなあ、と思う。ただその熱量が形となって結実することはほとんど、というか皆無だったかもしれない。僕が高校生だった当時というのは、「QOH」や「魔物ハンター舞」なんかで有名だった、渡辺製作所の全盛期(のように僕は思う)だった。なんだかそのころは同人ゲーム(特に対戦格闘)の体験版をネットでよく見かけるようになった。そのうちのほとんどは、完成することなくぽしゃったのだと思うけど、実際には体験版までたどり着くことなく、それ以前の工程で企画倒れとなった同人ゲームは星の数ほどあったのだと思う。というかまあ僕とか友人がそのあたりの部類に属する人間だったわけで、やはりご他聞に漏れず「Kanon」や「Air」で感動し、「Kanoso」や「あゆちゃんパンチ!」をプレイするにいたって、「俺たちもゲームを作ろう!」となったり、友人の友人がCD−Rに焼いた神藝工房のMADムービーを見て、「俺たちもムービーを作ろう!」となったり、まあそういう瞬間的な熱を口から放射して後には出がらししか残らない、みたいなことが多々多々あった。高校時代はそんなことの連続だったなあ、とついついため息をつきながら思い出す。
 僕の高校時代にタイトルが発表され、浪人時代には発売が一年先送りになり、大学に入学した年にようやく発売された「CLANNAD」は、発売日に買った友人から上手いこと入手し、4,5日間ほぼぶっつづけでやりこんでクリアした。クリアしてから一週間くらいは、人生っていいな、家族っていいな、と夢うつつの瞳で虚空につぶやいていた気がする。や、書いててちょっと言い過ぎたと思ったけど、「Air」のときにもやっぱりそんな風になっていたし(クリア直後には、なぜか友人に感謝のメールを長文で送っていた。そしたら友人も長文のメールで返信してくれた。なんつうか、美しい友情ね)、なんていうか、ちょっと気持ち悪いくらいがちょうどいいことって、ある、よね。
 それで「CLANNAD」ですが、ゲームのほうは全然エロくないというか全年齢推奨なんですが、京アニ製作のアニメのほうがエロくてですね、具体的には風子の足がエロくてですね、僕がニコニコ動画にコメントを残したのは後にも先にも風子の足についてだけなくらいエロい感じがするわけで、きっと京アニが月吉ヒロトの漫画をアニメ化したらものすごいことになるに違いないと僕の背筋を寒くしたことでも有名な京都アニメーション。そういえば「Kanon」のアニメは見てない。「Air」は当然見ましたよ。「Kanon」もそのうち見ますってばさ。
 それで「CLANNAD」ですが、僕のkey体験はそこで止まっているわけですよ。「planetarian」とか「智代アフター」とか「リトバス」とか全然やってないわけですよ。(どうでもいいですがキネティックノベルって何だったんでしょうね)いまさらそれらをやるのも億劫なので、たぶん一生やらないままと思いますが、「リトバスエクスタシー!」はタイトルが阿呆くさくて嫌いじゃないですよ。やらないと思いますけどね。
 だからつまり僕にとってのkeyというのは「Kanon」から「CLANNAD」――より正確に言えば、「MOON.」から「CLANNAD」ということになるわけです。エヴァとか見てなかった僕は、「MOON.」のストーリーに度肝抜かれたというか、正直わけわかんなかったし、覚えてるのはヒロインが野外で放尿したことを自分の分身みたいな人に告白して「これでこの段階の修行は終わりです」みたいに言われてたこととかで、当時はかなり引き気味に見てましたが、今思い出しても引きますねこれ。「ONE」はOVAが酷かったことばかりが思い出さますよ。本当に酷かった。OVAが発売しだしたのも高校時代だし、「CLANNAD」はちょっと例外だけど、やはり基本的にはkeyを語りだすと高校時代の話ばかりになって、あのころは演劇部でもなんだかとっても駄目な部員だったし、授業もよくサボっていたし、それでもエロゲーはけっこうやっていた気がするのだから、へこむ話です。自分、あの時なにをやっていたのか。まあ、エロゲーやっていたわけですが。「keyにエロは不要なんだよ! ゲームに大事なのは物語だ!」と妙に熱く語っていた自分が懐かしい。エロ見たさの自分を必死に正当化していたというか、「物語だ!」と言いながらエロに特化したエロゲーもやっていたわけですからね。「物語だ!」とか言ってるわりに、物語について何もわかっていなかったしね。そんなに「Kanon」や「Air」が好きなら、「Kanon」や「Air」みたいなお話を書いてみろって話ですが、高校時代にまともに最後まで書いた小説って一本もなかったはず。同人誌作るわけでもなかったし、実際の行動からは一定の距離を保とうとしているところが馬鹿ですね。駄目でもともとやってみればいいのにね、高校生なのだから。「KanonRPG」をやってRPG作りたくなったら作ればよかったのだし、「EFZ」をやって格ゲー作りたくなったら作ればよかったのだよ。それが実際にはまったく作らないで、「でもいつか作るぞ」なんて間の抜けたことを考えていたわけですから、高校時代、僕は相当に頭の悪い子供だったのですよな。今に至るまでそれは変わらないって気がすごいするんですがな。無駄に歳だけ重ねているような。気がつけば今年で24であり、24である僕が高校時代のkey体験について語るというのはなんとみっともないことなのだろうか。あといまさら気づいたけど、高校時代に「Kanon」とかやってたらまずいな! 年齢的に!

ラジオはじめます。

タカツと二人で。千葉のゴーストタウンで蝙蝠と戯れながらね。


タイトル:「なんで…ノブが熱いんだ!? これは――ドアノブが照れている?」
日程:11月3日土曜日(明日だ!)
時間:おおよそ八時〜十一時まで。
内容文学フリマ出るらしいよ、って話。


みんな、文学フリマに来て、大塚英志と握手だ!

(終了しました。)

ぼくはげんきです。

九月も半ばを過ぎて、いまだに暑い日が続いていることにうんざりしている今日この頃。
生存報告なんかも兼ねて、明後日の夜に、久々にねとらじをやりますよ。


「ス、スエットはいてないの!? ま、まずいよ!」
日時:9月19日(水)九時ごろ開始予定。
出演:僕(よあけ)、タカツ、雫嬢
内容:漫画とかアニメとかゲームとか、話題のあの映画とか。



(追記)終わりました。

吉浦康裕『ペイル・コクーン』

ペイル・コクーン [DVD]

ペイル・コクーン [DVD]

ほしのこえ』の新海誠と同様の、個人製作のCGアニメーション短編映画。
「記録」についての物語である「ペイル・コクーン」と、「表現」についての物語である「もう一つの発掘記録*1」が互いに照らし出すのは、「自分がいたことの証」ではなく「人がいたことの証」という実にSFらしいテーマ。終盤近くでけっこう感動した。
あと、個人的に中盤の主人公が仕事しかしてないシーンが好き。話の中で唯一、生活感が感じられるシーンだったので。
もう一つ「水のコトバ」という短編映画が入ってたけど、こっちはあまり好みではなかった。

*1:特典映像。ただし、ほとんど文字のみ