果てしなき帰途の果に

yoakeroの雑文コーナー

土屋賢二『われ笑う、ゆえにわれあり』

われ笑う、ゆえにわれあり (文春文庫)

われ笑う、ゆえにわれあり (文春文庫)

森博嗣が絶賛していたのを見て、いつか読んでみようと思っていた土屋賢二のユーモアエッセイ集。かなり高い期待を込めて読み始めると、果たして――とても面白かった。非常にユーモアのセンスが高く、僕も見習いたいと思う。大学教授である作者の駄目っぷりもレベルが高く、反面教師にもなる有益な本だと思う。
本書を開くと、目次の手前にまずこのような文章がある。

献辞
 本書を完成できたのは、多くの人々のおかげである。それどころかこの人々がいなかったら、そもそも今のわたしというものがありえなかったと言っても過言ではない。苦しみ、悩み、トラブルをいまのわたしがもっているのも、経済力、自由、明るさといった貴重なものをいまのわたしがもっていないのも、すべてこの人々のおかげなのである。もしこの人々がいなかったら、そして忠告や助言をいただかなかったら、本書は今日よりもずっと以前に完成していたことであろう。
 こういうわけで、わたしに一言も助言しないでいてくれた見知らぬ人々に本書を捧げたい。
 なお、本書に登場する人名、団体名などが実在のものと合致する場合、それはたんなる偶然でないことをお断りしておきたい。

恥ずかしながら、僕はこの時点で笑ってしまっていた。僕と同じように、この文章だけでもこのエッセイの面白さが想像できる人には、ぜひ本書を読んでもらいたい。この本は、全篇、このような笑いで溢れている。正直、あまり面白くない、と思った人は読まなくてもいいかもしれない。若干、面白いかな、と思った人は何とも判断が難しいので各自の責任のもとに読むか否かを決定してほしい。駄目、何が書いてあるかわからない、という人は日本語学校に通うか、メガネやコンタクトの購入を考えてみて下さい。
森博嗣が選んだ100冊の本(通称、森100)の内の一冊であるのも納得できる内容だった。ただ、もう少し薄い本でもよかったかもしれない。本書は260ページ程だが、200ページ弱でも良かったと思う。この手のエッセイは、あまり長いとよほど気に入った人でない限りは、中弛みしてしまうので。程よい長さが望まれる。
次回は、乙一の『小生物語』か、高橋しんの『好きになるひと』か『さよなら、パパ。』のどれかではないかと予想する。当たるも八卦、当たらぬも八卦