果てしなき帰途の果に

yoakeroの雑文コーナー

上遠野浩平『ビートのディシプリンSIDE4』

ビートのディシプリン〈SIDE4〉 (電撃文庫)

ビートのディシプリン〈SIDE4〉 (電撃文庫)

試練の果てに見つけたモノ、それは―――
遂に『ビートのディシプリン』が完結しました。”カーメン”を巡るビートの試練も終わったわけですが、読み終えても”カーメン”が何だったのか結局よくわからなかった人とか多いと思います。だってあんな説明じゃ、説明してるといえないでしょう。「考えるな。感じるんだ!」とか、そんな勢いだよ、あれは。もっと言葉を巧みに使って物語を書く作家さんとか、身も蓋もない言い方をすればもっと世間受けする作品が書ける作家さんなんかなら、もう少し分かりやすく、というか共感しやすく”カーメン”についての物語を書けたんじゃないかなあ、とちょっぴり思う。思うけど、でもやっぱ誰が書いてもこんな風なわかったようなわからないような、それでいて「いや、そんなことは前から知っているよ。言葉では説明できないけどさ」と開き直ってしまいたくなるような物語になっていたのかもなあ、とも思う。なんていうか、感性だけは立派なもんだけど言葉を知らないものだから意思疎通が難儀な小学生とかそのくらいの子供と対話しているような感じとでもいうか。まるでボキャ貧が書いたような小説だな、なんて言うと貶しているみたいだから言わないけれど。
でもやっぱり圧倒的にボキャブラリーは欠けているのだろう、と思わないでもない。上遠野浩平の語彙力の話ではなく、人間全般についてのはなし。特に、まだ誰も言葉に変換することができないでいる”何か”を書こうと苦闘する小説家の方々のはなし。つまりは誰もが圧倒的なまでに語彙不足でありボキャ貧なのだと思う。小学生の頃よりかは幾らか知識が増えたからといって、その程度ではこの世界を説明するのには不十分だし、それどころか自分のことを正確に言葉にすることさえ無理難題であるのだから。
”カーメン”についてもう少し語っておくと、上遠野浩平のほかの幾つかの作品のモチーフにもいえることなのだけど、モチーフが全然読者を感動させるのに向いていない。エンターテイメント作品としてこれってけっこう致命的だと思うのです。『パンドラ』なんかは偶々モチーフが感動系だったから傑作とされているけど、『ロストメビウス』なんてモチーフが全然エンターテイメントに向いてないもんだから散々な内容になっているし。今回の”カーメン”も、そこに至るまでの戦闘の連続や多彩な登場人物なんかはエンターテイメントっぽいけど、でも最後に待っているものが全然読者の胸に飛び込んでこないものなので、きっとこの作品も傑作という評価は受けないんだろうな、と思う。モチーフの時点でそれは決まっていた感じです。
でも敢えていうけど、この作品は素晴らしいよ。”カーメン”なんていう本当にあるんだかないんだかわからない存在――物なのか概念なのか人なのかすらわらかない――そんな存在を追い求めるというのは、そのまま人間の生き方にも重なるし、表現者としてのスタイルにも通じていると思う。いや、今のは蛇足だったかも。とにかくそんな曖昧であやふやなモノを文字で表現しようという上遠野の姿勢はすごいと思う。でも、やっぱちょっと消化不良だけどね。もっとはっきりと作品内で謎を明らかにするとか、もっと強く読者を置いてけぼりにした結末を用意するとか。いやはや、なんでこう中途半端なのかね、上遠野は。そして僕は、そこがたまらなく好きわけですが。
……でも正直に言うと、僕も”カーメン”が何なのかよくわからなかったよ。