果てしなき帰途の果に

yoakeroの雑文コーナー

乙一『失はれる物語』

失はれる物語

失はれる物語

本書は短編集なのだが、収録されている六編のうち五編は他の本ですでに読んだことがあるので、書き下ろしの『マリアの指』だけを読んだ。故に、今回の感想は『マリアの指』についてのみになる。悪しからず。
物語は、周りの人間から神聖視されていた鳴海マリアが電車に轢かれてバラバラ死体となる所から始まる。偶然、マリアの指を拾った主人公は、その指に導かれるように事件の真相を知ることになる――。ヒロインであるマリアは指だけの存在だが、生前の彼女を知っている人物たちによって、彼女はまるで人間以上の存在のように神秘的に語られる。これが作者の一つの企みだろう。同じ企みは同作者が話と文を書いた絵本『くつしたをかくせ!』でも行われている。作者自身があとがきでも述べているが、これはつまり「実際には存在しない、神のような人間以上の存在を実在するように描くにはどうすればいいか」という企みであろう。その企みの一つとして『マリアの指』は書かれている。
と、どうでもいい事を語ってみたが、実にどうでもいいことを書いてしまったな、と実感した。確かにこのような読み方も面白くはあるが、これが最も面白い読み方とも思わない。何が言いたいのか。上のような作者の考えを探ろうとすることは、エンターテイメントの楽しみ方としては二流である、と僕は思う、と僕は言いたい。と、適当な事を語ってみたが、実はこれもどうでもよくて、そろそろ何がどうでもよくて何が言いたいのか分からなくなってきた。
最後にせめて感想らしい感想を書いて終わりたいと思う。僕は乙一が書く「探偵と犯人の直接対決」が好きだ。乙一はいつもこのようなシーンを、他の作家が書くようなミステリとは全く違う雰囲気で書いている。探偵役は犯罪を指摘するだけでなく、どこかで犯人に共感を覚えている様に思う。犯罪を肯定も否定もせずに、一度ほんの少し共感を感じ、それから勿論否定している。乙一の作品以外では、こんな風に感じることはほとんどない。『マリアの指』にもこのようなシーンがあった。とても印象的なシーンだった。
今回の感想は、本当の本当に感想を書くと、個人的な思いだけが先行してしまうという良い例だと思う。バランスが難しい。ある程度個人的なものを入れたほうが面白くはなるのだが。もっと理論的に攻めるのもいいのかもしれない。
次回は迷っている。映画の『AIR』の話をいつするか。ずっとずっと後になるかもしれない。一通り映画の感想をまわってみて、別に今書くことはないか、と思ったからだ。だから次回は別のものになるだろう。『ネコソギ』の可能性が高い。